3.11から8年。

こんにちは。慶早進学塾岐阜校の波多野です。

本日は平成31年3月10日。明日、3月11日は我々にとって忘れることのできない、東日本大震災が発生した日です。

ニュースや多様なメディアでは、この3月11日を3.11と呼び、震災当時なにをしていたのかを様々な人に問いています。

私も今回は当時を振り返り、改めて震災の記憶を自らに刻み込もうと思います。

平成23年(2011年)3月11日14時46分18秒。東北地方太平洋沖を震源とする地震が発生しました。

当時、私は大学生でした。

午後からの講義が休講になったため、名古屋の大須という町へ友人と出かけていました。

趣味で音楽活動をやっていた私たちは、震災の時、楽器店さんでギターを眺めていました。

突如、足元がグワンと突き上げられるように振動すると、グラグラと横に身体が振られる強い揺れに襲われました。

この頃は東海大震災が近いうちにやってくると話題でしたから、それがやってきたのかと思いながら、直立し揺れに耐えていました。

体感にして1分満たないほどでしたでしょうか。とにかく長く揺れていた記憶があります。

友人は「楽器屋が潰れたらギター持出そうか?笑」などとバカなことをいっていましたが、幸い店舗にも、大須の町にもダメージはありませんでした。

その後、行きつけのカフェで休憩し、町を散策していると電気屋さんのテレビにありえない映像が映し出されていました。

津波に押し流された町、原子力発電所が爆発しごうごうとドス黒い黒煙を上げながら燃えている。建物の屋上で助けを求める人々。。。

言葉にならず、思わず立ち尽くしてしまいました。

しかし、まだ頭のどこかで冗談なのではないかと楽観視している自分がいたのを覚えています。

家に帰り、テレビをつけると全ての局がニュース番組に切り替わっており、ライブ映像で先ほどみた恐ろしい光景が映し出されていました。

また、メディアは広告を自粛しACの啓発CMが繰り返し流れており、この時になって途方もなく恐ろしいことが起こったのだと認識しました。

以上が震災当時の私の状況です。

安全圏にいてただ観ていることしかしていない私が強い恐怖を感じたのですから、実際に被害に遭われた方々の恐怖は計り知れません。

また、震災から8年経った今でも、後遺症に苦しむ方、住居の確保、仕事、人口の流出など様々な問題が残されたままになっています。

そして、恐ろしいことに今後30年以内に、同規模程度の余震が90%の確率で発生するという報告が政府の地震調査委員会より発表されています。

あれから8年が経った今、少しずつ我々の記憶から薄れつつあります。

改めて、当時を思い出し、忘れることのない様に生きていかなければいけません。

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