現役時マーチ全落ちから一浪で明治大学に合格
2021年03月18日 | 合格体験記
夏期講習
彼との出会いは、2019年の夏のことだ。
急に塾に電話をしてきて急遽会うことになってトントン拍子で7月から夏期講習スタートという流れになった。
大垣校では、早慶志望の生徒は彼に会うまでこれまで一人もいなかった。
大垣という土地柄のせいか、大垣の高校では基本みんな国公立を目指すのが当たり前となっているので、早慶に行きたいという人はほぼいない(実際に、慶應と岐大両方合格したらどっち行きたいかと生徒に聞いたら、ほぼみんな岐大と答える)。
初めて大垣で早慶を志望する生徒に出会った運命の瞬間だった。
はじめの頃接したときは、口数も少なく非常に寡黙な生徒だなと思った。しかし、一回話してみると、非常に明るくたくさん話すタイプの生徒だった。
学校生活のことや自分の学校がいかに面白いところかを赤裸々に語ってくれた。特に、彼の通ってる学校の生徒が大麻を所持していて、警察が来て捕まった生徒がいたと聞いたときは衝撃が走った。
首都圏の学校ならわからなくもないが、地方都市である大垣の学校でそんなことがあるなんて信じられなかった。大垣の高校をあんまり詳しく知らない自分としては非常に新鮮だったのを覚えている。
また、参考書のことや、youtubeの教育系動画をよくみてるからか(特に武田塾チャンネルが好きなようだが、なぜかうちに入ってくれた)、勉強法についても非常に詳しかったのが印象的だ。彼の勉強法のノウハウや参考書知識は教育者顔負けだった。
この生徒は私立の自称進学校に通い、サッカー部の部活にも力を入れていた。
出会う以前から大学受験で逆転したいと慶應を志していたようで、定期テストの勉強程度だがコツコツとしていたといったところだ。実際にクラス1位も何回かとったことがあるほどに勤勉な生徒だった。
出会った時の学力も記述模試で60あるかないかといったところと記憶している。
現役時の失敗
慶應を目指していて、マーチや早慶など現役のときは10~15校くらい大学を受けていた記憶がある。
結果は、マーチも早慶も全落ちという散々な結果だ。今振り返っても、さすがに受けすぎだろと思うけれども。
早稲田や慶應に関しては合格最低点にほど遠かったが、青山学院に関しては、あと5点で合格だった。
本人も早慶はダメでも、マーチまでで収まるだろうと普段の過去問演習の結果からも思っていたようだったが、認識は甘かったようで非情な現実が突きつけられることとなった。
非常に悔しがっていたと同時に、一般受験の難しさを肌で感じてた瞬間だった。まだ高校受験の感覚が抜け切れてなかったのだろう。そのあと、なぜ落ちたのかを一緒に考えていた。
自分「なんで落ちたと思う?」
生徒「日本史の近世が手薄でどの大学でも全然取れなかったのが大きいと思います。」
自分「そうなん?たぶんそれだけじゃないんじゃないかな。今までの勉強みてて思うけど、今まで積み上げてきた参考書はただやっただけって状態になってて反復しきれてないんじゃないの?受験に間に合わせようと急ぎ足でやってたしね」
生徒「たしかにそれもありますね。次こそは、ちゃんとやりこみたいですよね。」
なんて会話をしてた気がする。
そんなこんなで、「もう一年慶早でがんばらせてください」ということで次年度が始まろうとしていた。
浪人生活のスタート
現役の時に突きつけられた結果のせいだろうか、他の浪人生は春から浪人生活スタートで一年後志望校に受かるぞというポジティブな気持ちだったり、一年間勉強だけできるから楽勝でしょといった感じだったが、彼にはそんな感じが微塵もなかった。
現役の時の非情な現実が彼をそうさせたのだ。そして、現役時代の不合格の結果から一息つき、春から浪人生活がスタートしようとしていた。
しかし、この年はみんなもご存知であろう新型コロナウィルスが猛威を振るっていて、オリンピックが中止になったり緊急事態宣言が出るという類をみない事態が現実に起こっていた。
果たして来年受験はできるのだろうかと生徒たちと塾のスタッフたちも疑心暗鬼になっていた。
緊急事態宣言というまさかの事態で塾もオンラインを余儀なくされたことと模試が実施されないことで自分の立ち位置が把握できないということもあり、彼のモチベーションはどんどんと下がっていった。
このモチベーションの低下は夏頃まで響いたと記憶している。
その後、秋となり、秋になって残された日数が少ないことから焦りがでて腰を据えて勉強をするという運びになった。
秋以降の勉強の集中力や取り組む姿勢はすさまじいものがあった。今でも印象的だったのが、12月にした以下の会話だ。
生徒「もう12月だよ?マジで一年早くない?」
自分「そうだね。でも共通テスト終わったらあっという間に一般入試全部終わってるよ。」
生徒「たしかにそうかも。もう来週には大学生って感じですよね。」
自分「そうそう。もう受験終わるって考えればもうちょいがんばれるよね?」
生徒「でも、これ以上頭に知識を詰め込むのはきつい。身体が勉強をするなと悲鳴をあげている。」
こんな会話をしていた(当然その後も勉強を継続はしていたが)。どちらかというと勉強が好きなほうであろう彼のこの発言から浪人生活が以下に辛いものかが伝わってきた。
指導
人格面
非常に思慮深く、普段のコミュニケーションをとっても考えて発言していて、その面が普段の勉強でも出ていた。
普段の指導でも、こちらの言ったことをしっかりと意図を組みとったうえで勉強をしてくれるので、こちらから大きな修正を加えたり指示をすることは他の生徒と比べるとあまりなかった。
一方で課題は、モチベーションを高く保てないことだ。これは前半のコロナのせいで、人との会話が格段に減ったことや模試での出来の把握などができなく、成長を実感できなかったことが大きな原因であることは言うまでもない。
また、それゆえに、モチベーションに頼って勉強をしがちで、やるときはがっつりやるけど、やらないとなったらとことんやらなかった。
なので、彼の勉強のやる気の動機づけなどになればと我々スタッフがよく話を聞いたりしていた。
学習面
学習面に関しては、よくありがちな全てを暗記でごまかすといったことはしないで、暗記する部分と理解する部分の仕分けがしっかりとできていた。
また、勉強法に関しても慶早のメソッドをベースに自分のやりやすいように改良したりもしていたように思える。
彼の学習面での問題は、暗記を極力減らして理解に徹するやり方がゆえに、暗記が手薄になっていたことだ。
実際問題、現役のときは社会の暗記の近現代の部分が全く暗記できてなくて、ほとんど点数がとれないで落ちた。
マーチレベルでも国語と英語は合格者平均に乗るか、超えるかくらいは取れてたら、日本史は4割しかとれないということもあった。
また、彼は自分のやりたいようにやらせると過度に自分を追い込んで、処理しきれない分量をやろうとしてパンクするということが現役のときにあった。
なので、浪人時はそうならないように、こちらで現実的にできる分量を決めてそれをこなしてもらった。
成績の推移
手元に成績表がないので、具体的数値などをお伝えすることはできないが、現役次の初期の頃は、記述模試で平均して偏差値60くらいだったと記憶している。
また、前半のマーク模試では良い時は偏差値65くらいをとっていた。ただ、日本史は学校の遅いペースに合わせてたせいで、学習範囲が追いつかなくなり、成績がどんどん下降していった。
まだ、早大プレでも文化構想か文学部でD判定を取っていたと記憶している。
そんなこんなで現役の受験を終えた。その後、浪人をして模試を受けようにも新型コロナウィルスの影響で模試が受けられない状態となった。
初めてマーク模試を夏頃にはパソコン受験で模試を受験したが、問題が画面に表示されるといった形式で、線を引けなかったり、問題用紙とマークを行き来しないといけなく、従来の試験と比べて非常に面倒で、途中から試験のシステムに納得いかなくて、真面目に受けなくなったというのを覚えている。
そのせいで、悪い結果を模試でとってしまった(システムの問題なので本人は落ち込むというよりずっとキレてましたが)。
浪人時の後半に受験した模試では、記述もマークもともに慶應Bに限りなく近いC判定(もしくはB判定)とマーチA判定を取っていた。
やはり、現役次の反省を踏まえて、日本史を徹底的にやりこんだことが結果に結びついたと思う。
二度目の入試本番
そして、彼はついに二度目の入試本番を迎えたのだった。初めての共通テストということともう落ちれないというプレッシャーから非常に緊張していた様子を今でも鮮明に覚えている。
共通テストの受験を終えたあと自己採点をしたら、国語が145点、英語(R)が78点、英語(L)が74点、日本史が88点だった。去年のセンター本番は全体的に6割あるかないかくらいしかとれなかったので健闘した。
彼の性格上、現役時は、一度何かの科目で想定外のことが起こったり答えられなくて崩れると、他の科目もメンタルが保てなくて崩壊していくというものがあった。
この性格であるゆえに、初めての共通テストは想定外の連続なので大崩れないか心配していた。だが、それも杞憂に終わった。
彼は、この一年でその部分が変わったのだ。
去年までは、悪い点数をとっても、自分の実力ならもっと取れるのにと落ち込んでどんどん他の科目もできなくなっていったが、今年はそれを受け入れることができた。
どんな出来でも「これが自分の全てを出し切った実力なんだ」と無理やり言い聞かせるわけでもなく、すんなりと納得できるだけの度量があったからこそ崩れることなく耐えることができたんだと思う。
本人も私に「もっと点数取れたのかもしれないけど、自分はこの点数に妙に納得をしているんです。」と語っていたのが記憶に新しい。
この結果を素直に受け入れた状態で、私立の一般入試を迎えることとなった。成城大学は共通テスト利用で合格し、一般のほうも明治学院や学習院など次々と合格した。
その後、明治大学商学部や志望していた慶應文学部や商学部を受けたが、明治大学商学部には合格できたが、慶應文学部と商学部は合格とはならなかった。
やはり早慶の壁は厚いなと改めて思い知らされた。本人も夏まで失速気味だったことを自覚していたこともあり納得してこの結果を受け入れていた。
受験を終えて
今回志望校の慶應には残念ながら合格できなかったが、本人が慶應の次に行きたいと行ってた明治になんとか合格できたので本当によかった。現役時はマーチ全滅を考えるとだいぶがんばったんではないだろうか。
慶早では、与えられた宿題をやってすらこない生徒はともかく、宿題をこなしたからそれでいいという生徒は意外に多い。
しかし、彼はその先を行っていた。宿題をこなすことは最低条件と考えて、宿題を終わらせたうえで、貪欲に知識を吸収していった。
勉強してる姿をみてても特に秋以降なんかは、受かりたいんだという気持ちがこっちにも伝わるほどにでていた。
それに加えて、普段の会話からでも内面の成長をものすごく感じた。現役のときは勉強法のこととか参考書のことなど比較的表面的なことを語っていた。
一方、浪人時は、もっと深く物事を考えるようになったのか共通テストくらいの時期にいかのようなお話をした
生徒「この一年振り返ってみて、浪人してよかったと思ってます。もしあのままマーチ受かって進学してたら、遊び呆けて自堕落な大学生に絶対になってたと思います。」
自分「この一年勉強を通して、学んだこと多かったよね。」
生徒「そうですね。文系はひたすら暗記だけしてればいいものと思われがちだけど、地頭大事ですよね。それがないとマーチが限界だと思う。」
自分「それはあるかもね。それがわからないでひたすら暗記をやろうとして、結局社会だけしかできない文系いっぱいいるもんね。」
生徒「ほんとただたくさん勉強すればいいというわけじゃなくて、普段の習慣とか思考とかから変えてかないと学力って伸びないんじゃないんですかね。」
自分「そういう意味では、勉強ってその人の生き方そのものを表してるよね。」
ということを話してたのが忘れられないと同時に彼の成長を感じた。
彼にとって今までは歴史などの知識を頭に上塗りする作業が勉強と思っていた節がおそらくあって、一年の勉強を通して、普段の頭の使い方や習慣など様々な要素から学力が形成されること悟ったのであろう。
また、試験での自分の実力や結果をありのままに受けいれられるようになったことで、冷静に試験会場で問題を解くことができるだけのメンタルが今回の合格を後押ししたのではないだろうか。
以上、明治大学に合格した生徒の合格体験記でした。
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